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2011年8月 2日 (火)

鎮魂――メルヴィル忌によせて

心から、東日本大震災により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆さま、そのご家族の方々に対しましてお見舞い申し上げます。

去年から新しいジャンルの仕事も始めたため、慌ただしいなかでブログの更新もままならないうちに年が明け、ようやく一息つけそうに思えた矢先に、東日本大震災が発生した。

311日(金)1446分、自分自身は東北地方の空港から羽田へと向かう機内におり、1510分頃に機長のアナウンスを聞くまで、まったく何も知らずにいた。未曾有の災害のなか、羽田へ降りることも出発地へ戻ることも叶わなくなって、燃料のもつうちに最も近くて最も安全な空港へという機長の判断により、新潟空港へ着陸したのが1545分頃だっただろうか。紆余曲折を経て、翌日には、飛行機と新幹線を乗り継ぎ、何とか東京へたどり着くことができた。

もちろん、被災された方々の苦難には比べるべくもない。東北地方に暮らす親族はみな無事であり、私自身もこうして生きているのだから。とはいえ、パニック映画のような24時間ではあった。

被災地の方々に対して、いまの自分にできることは、とにかく心を寄せ続けること。時間が経過したからといって、気持ちを、記憶を風化させてはならないと思っている。

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197382日、38年前の今日、ジャン=ピエール・メルヴィルが亡くなった。享年55。心臓発作による急逝だった。

犯罪映画の巨匠と呼ばれた彼は、ルイ・ノゲイラ著『サムライ ― ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生』(拙訳・晶文社)の序文のなかで、「私の作品のなかで想像力の産物とみなされる風潮があるものは、実際は記憶力の結果である。通りを歩いている時、ある出来事を目撃した時、何かを体験した時に、記憶に留めたことなのだ(もちろん私はそれを置き換えて映画化している。自分が本当に体験したことをそのまま描くのは大嫌いだから)。映画のクリエイターというものは、その時代の証人だ」と述べている。

シネフィル少年が悪い仲間とつきあいのある青年となり、兵役により第2次大戦へ従軍してダンケルクを生き延びた。除隊後はナチス・ドイツによる占領下で祖国フランスの解放のためレジスタンス運動に身を投じ、ひそかに英国へ渡って自由フランス軍に入隊、諜報活動を続けた――。

まさしく想像を絶するような数々の体験をしているに違いないことは、彼自身がシナリオを書いて撮った作品から見てとれるが、生涯で最も忘れ得ぬ体験とは、レジスタンス時代のものではないだろうか。彼がどうしても長編第一作とすることにこだわった『海の沈黙』の原作〔邦訳:海の沈黙 星への歩み (岩波文庫)〕と出会ったのは1943年のことだった。同じ年、ロンドンで『影の軍隊』の原作〔邦訳:影の軍隊 (ハヤカワ・ノヴェルズ)〕も入手し、25年もの間、映画化の夢を抱き続けて遂に実現させているが、この作品には、たったひとつ2分間だけ、彼の実体験にからむシーンがあるという。

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長らく更新できず、この数か月の間に訪れてくださった方々にはお詫び申しあげます。次はいつになるのか断言はできませんが、つねに心にはかかっております。

2010年11月10日 (水)

シネマテーク・フランセーズでジャン=ピエール・メルヴィル特集上映が開催中

日本ではまもなくDVD海の沈黙』が発売となるが、パリのシネマテーク・フランセーズでは、現在ジャン=ピエール・メルヴィルの特集上映「RETROSPECTIVE JEAN-PIERRE MELVILLE」が開催されている(11322日)。

オープニング上映は『仁義』で、アラン・ドロンも臨席したといい、会期中にメルヴィルの全監督作品(長編13作、短編1作)と、メルヴィル出演作品7作が上映される。

関連イベントとして、現地へ行かれない人も楽しめるのが、シネマテーク・フランセーズのサイトで公開中の「ZOOM~『海の沈黙』のシナリオに迫る」だ。メルヴィルによる書き込みもなされた『海の沈黙』のシナリオがネット上で見られる。

取り急ぎ、情報のまとめのみですが:

RETROSPECTIVE JEAN-PIERRE MELVILLE

2010113日(水)~22日(月) シネマテーク・フランセーズ(パリ)

●上映作品(カレンダーはこちら

ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品 

movie短編『ある道化師の24時間』(1946):114日(木)・10日(水)(『海の沈黙』と併映) 

movie海の沈黙』(1947):114日(木)・10日(水)(『ある道化師の24時間』と併映) 

movie恐るべき子供たち』(1949):116日(土)・12日(金) 

movie『この手紙を読むときは』(1953):114日(木)・14日(日) 

movie賭博師ボブ』(1955):116日(土)・10日(水) 

movieマンハッタンの二人の男』(1958):117日(日)・13日(土) 

movie『モラン神父』(1961):117日(日)・20日(土) 

movieいぬ』(1962):1114日(日)・18日(木) 

movie『フェルショー家の長男』(1962):1111日(木)・17日(水) 

movieギャング』(1966):1113日(土)・18日(木) 

movieサムライ』(1967):1114日(日)・21日(日) 

movie影の軍隊』(1969):116日(土)・13日(土) 

movie仁義』(1970):113日(水)(オープニング上映)・7日(日) 

movieリスボン特急』(1972):115日(金)・20日(土) 

メルヴィル出演作品 

movieジャン・コクトー監督『オルフェ』(1949):1122日(月) 

movieピエール・カスト監督『ポケットの恋』(1957):114日(木) 

movieジャン=リュック・ゴダール監督『勝手にしやがれ』(1960):115日(金) 

movieクロード・シャブロル監督『青髭』(1962):118日(月) 

movieレミ・グランバック監督『ジャン=ピエール・メルヴィルを迎えて(Bienvenue à Jean-Pierre Melville)』(1971):1115日(月)・22日(月) 

movieアンドレ=S・ラバルト監督『ジャン=ピエール・メルヴィル――9つのポーズの肖像(Jean-Pierre Melville : Portrait en neuf poses)』(1996):118日(月)・21日(日) 

movieオリヴィエ・ボレール監督『コードネームはメルヴィル』(2008):1110日(水)

●関連イベント 

★講演会「ジャン=ピエール・メルヴィルとは誰か?(Qui êtes-vous Jean-Pierre Melville ?)」講師:ジャン=フランソワ・ロジェ:115日(金)

★シンポジウム「ジャン=ピエール・メルヴィル、単独行動の映画作家(Jean-Pierre Melville, cinéaste franc-tireur」:116日(土) 

オリヴィエ・ボレール、エリック・ドマルサン、ピエール・ギャバストン、レミ・グランバック、フィリップ・ラブロ(予定)、ルイ・ノゲイラ。司会:セルジュ・トゥビアナ

thunderZOOM~『海の沈黙』のシナリオに迫る:113日公開 www.cinematheque.fr

●関連情報 

bookジャック・デニエル、ピエール・ギャバストン監修『メルヴィルへのリフ(Riffs pour Melville)』(イエロー・ナウ刊):20101026日発売 

movieブルーレイ盤『仁義』(ステュディオカナル):2010914日発売

movieDVDボックス『ジャン=ピエール・メルヴィル』:20101012日発売(『いぬ』『賭博師ボブ』『仁義』『影の軍隊』『モラン神父』『リスボン特急』『コードネームはメルヴィル』)

karaokeフランス国立図書館(BnFでも、『メルヴィルへのリフ(Riffs pour Melville)』を監修したジャック・デニエルとピエール・ギャバストンを迎えてのトークショーを開催:20101120日(土)

2010年11月 8日 (月)

DVD『海の沈黙』~ドキュメンタリー『コードネームはメルヴィル』もぜひ発売を

まもなく待望の『海の沈黙』(1947)のDVDが発売される(1127日発売予定。発売元:IMAGICA TV/販売元:紀伊國屋書店)。

ジャン=ピエール・メルヴィル監督の長編第一作である『海の沈黙』は、日本では1999年にWOWOWで放映されたあと、2008年になって「フランス映画の秘宝~シネマテーク・フランセーズのコレクションを中心に」の13本の中の1本として上映された。

2009年には、第10東京フィルメックス東京日仏学院の共催による「ジャン=ピエール・メルヴィル特集~コードネームはメルヴィル~」で、メルヴィルの全監督作品(短編1本、長編13本)と、オリヴィエ・ボレール監督・脚本のドキュメンタリー『コードネームはメルヴィル』(2008)が上映されて、2010年の今年は、『海の沈黙』が遂に岩波ホールを皮切りに全国各地で公開されたうえに、DVDの発売である。

メルヴィルに光を当てる企画がこれからも続き、次はぜひとも『コードネームはメルヴィル』のTV放映やDVD化がなされることを願っている。

このドキュメンタリーは、各種のアーカイヴ映像やメルヴィル監督作品からの抜粋のほか、メルヴィルの親族や友人らへのインタヴューを通して、曖昧だったメルヴィルの来歴――殊に戦争中の足跡――を多少とも窺わせてくれる実に貴重な資料だ。

昨年の特集上映の際に見て以来、『海の沈黙』の映画化を原作者のヴェルコールに断られたときのメルヴィル(ルイ・ノゲイラ著『サムライ ― ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生』(拙訳・晶文社)によれば、「結構、私の個人用として映画を撮るとしましょう!」と言ったという)に倣い(?)、私も個人用として新たに訳して楽しんできたが、今回、『海の沈黙』のDVDのリーフレットに解説を書かせていただくにあたっても、あらためてメルヴィルの作品世界の根幹をなすものを如実に伝える作品だと実感した。

フランスで20109月にステュディオカナル社(StudioCanal)から発売されたブルーレイ盤仁義』には、『コードネームはメルヴィル』が特典ディスクとして付けられている(ちなみに、ステュディオカナルの100%子会社であるイギリスのオプティマム社:Optimum Releasingとドイツのキノヴェルト社:Kinoweltからも発売中)。

ならば日本では、長らくDVDの権利が切れたままの『サムライ』や、VHSビデオしか発売されていない『ギャング』の特典ディスクとしてでも……?

追記:『コードネームはメルヴィル』は、やはりステュディオカナル社から201010月に発売されたDVDボックス『ジャン=ピエール・メルヴィル』にも、『いぬ』『賭博師ボブ』『仁義』『影の軍隊』『モラン神父』『リスボン特急』の6作品とともに、7枚目のディスクとして入っている。

2010年9月 9日 (木)

A Filetta

先日、ある先輩のご厚意により、Bunkamuraオーチャードホールで、ベルギー王立モネ劇場制作『アポクリフ(Apocrifu)』(シディ・ラルビ・シェルカウイ演出・振付)を観る機会に恵まれた。

モロッコからの移民である父親によって、ベルギーのアントワープ生まれながらもイスラム文化の影響の色濃いシディ・ラルビ・シェルカウイの創る世界は、是非とも観てみたかった。しかも、衣裳はドリス・ヴァン・ノッテンである。ダンサーはシェルカウイ本人と、ベジャール作品の踊り手として知られる首藤康之、フランスの国立サーカス学校CNACCentre National des Arts du Cirqueでアクロバットを学んだ経歴をもつディミトリ・ジュルド3人。

気鋭のアーティストばかりが携わった舞台を観終え、深く印象に残ったのは、全編をア・カペラのコーラスで彩ったコルシカ出身の7人の男声のポリフォニー・グループ「A Filetta」(日本では「ア・フィレッタ」とカタカナ表記されているが、コルシカ語の発音では、「ア・ヴィレッタ」または「ア・ヴィレーッタ」となるらしい)の歌声だった。

なぜ彼らの歌が人の心を揺さぶるのか。それはコルシカという土地の歴史に裏打ちされた彼らのアイデンティティが、魂として込められているからだろう。――中世以来、コルシカ島民はジェノヴァ共和国の支配に対してたびたび反乱を起こし、18世紀には40年間にわたって独立のために戦った。1768年、ジェノヴァの手によってフランスに割譲されると、翌1769年、今度はフランス軍と戦闘を繰り広げて抵抗した。以後、コルシカはフランス領となり、公にはフランス語が使われてきたが、彼らにはイタリア語でもフランス語でもない、コルシカ語という独自の言語がある。

A Filetta」とはコルシカ語で「シダ」(フランス語ではla fougère)のこと。故郷のコルシカを象徴する植物、シダをグループ名に冠し、コルシカ語の伝統歌やオリジナル曲を中心に、ラテン語の典礼文を歌詞とした曲や、グルジア語の伝統歌などを歌っているという。アルバム『Ab EternuABエテルヌ~永遠にて~)』と『Bracanà(ブラカーナ ~地中海コルシカ島 奇跡のアカペラ)』でそのうちの数曲が聴ける。

映画関連では、ブリュノ・クーレとのコラボレーションもいくつかあり、今回の『アポクリフ』では、クーレが音楽を担当したエリック・ヴァリ監督の『キャラバン(原題:Himalaya - L'enfance d'un chef)』(1999)の中の2曲、「湖(Le Lac)」「ノルブ(Norbu)」も歌われていた(キャラバン(サントラ盤)に収録)。

メルヴィル関連でいうと、コルシカ島の灌木地帯・密林を指す「マキ(le maquis)」こそ、対独レジスタンス運動を行う組織としての「マキ団」の語源だ。かつて、フランス軍の占領から逃れようとコルシカ島民が密林に逃げ込んだことから、フランス語で「密林に逃げ込む(prendre le maquis)」ことが「地下に潜る、身をひそめる」ことを意味するようになり、その後、第2次大戦中にドイツ占領下のフランスで、「マキ」は地下にもぐってレジスタンス運動を行う人々を指すようになる。なお、コルシカ語では、「マキ」は「マッキャ(machjamacchia)」というようだ。

同じくメルヴィル関連で、コルシカに縁の深い人物といえば、真っ先に思い浮かぶのは『ギャング』の原作『おとしまえをつけろ』を書いたジョゼ・ジョヴァンニである。彼自身はパリ生まれだが、父親がコルシカ生まれ。ルイ・ノゲイラ著『サムライ ― ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生』(晶文社)の中でも、『ギャング』の章で、ジョヴァンニやコルシカについてのエピソードが語られている。ジョヴァンニの小説は、彼自身を始め多くの監督が映画化しているが、同書の『マンハッタンの二人の男』と『モラン神父』の章でメルヴィルが熱い思いを吐露するジャック・べッケル監督の『』(1960)も原作はジョヴァンニ。

なお、194749年にかけて、パリのサ=ジェルマン==プレが数々の伝説を生みだした当時、メルヴィルの仲間であり、『この手紙を読むときは』1953に主演したジュリエット・グレコも、自身は南仏モンペリエ生まれだが、父親はコルシカ出身、母親はレジスタンス活動家だったという。

2010年8月17日 (火)

「Love & Eros CINEMA COLLECTION」

昨晩は下北沢のライヴスペース&おんがく食堂mona records」の「流しそうめんと流しバンドの夕べ」に出かけた。3組目に昨年からバンド活動を再開した内田春菊さんが出演するというので、半徹明けにラテン系のエネルギーをチャージさせてもらおうと。

内田さんのバンドのメンバーはじめ、浴衣着用の方は1ドリンクサービスとあってか、会場内は圧倒的に浴衣姿が目立ち、いまは自分は着られない(しばらく前から肩と腕を傷めていて、髪も内田さんみたいな盛り髪どころか、普通のアップさえ満足にできない/泣)ので、さまざまな着こなしを見て楽しむ。

内田春菊さんは925日からテアトル新宿にて上映される6人の監督による連続レイトロードショー「Love & Eros CINEMA COLLECTION(ラブ・アンド・エロス・シネマ・コレクション)」で、「お前の母ちゃんBITCH!」を初監督している。ライヴ中のトークでも、先日行われた製作発表会見のことに話題が及んだ。

「あなたにとってエロスとは?」というベタな質問には、「エロス」とはギリシア語で「愛」を表わす言葉の一つ(「利己的な愛、性愛」)で、ほかにも「ルーダス(遊びの愛)」、「プラグマ(実利的な愛)」、「アガペー(神の愛、無償の愛)」などいろいろあって……と応じられたとか。

「エロス」と聞くと主に淫靡な想像をめぐらせ、「女がエロスについて語る」ことに対しても同じくある種の期待を抱く人びとが多そうななかで、そうした幻想(あるいは妄想)を吹き飛ばしてくれる内田さんに、シンパシーを感じている。

★「Love & Eros CINEMA COLLECTION

2010925日(土)~115日(金) 連日2120~ テアトル新宿

監督:内田春菊、石川均、瀬々敬久、児玉宜久、いまおかしんじ、伊藤一平

2010年8月 2日 (月)

メルヴィル忌

東京は暑い日が続いている。今日も夜半に始めた作業が朝方までかかったが、睡魔と格闘していると、この季節はとくにジャン=ピエール・メルヴィル(1917-1973)のことが想われる。

197382日、名匠ジャン=ピエール・メルヴィルは心臓発作で急逝した。

フランスでは、この時期、時間とお金に余裕のある人びとは陽光を求めてヴァカンスへ旅立つ。おそらく知人の大半がパリを留守にしているなか、メルヴィルはパリ13区ジェンネル通りにこもり、『リスボン特急』の次の長編のシナリオを執筆していたが、その晩、不意に近所のレストランで食事中に倒れたのだという。

「メルヴィルの映画には、あかるい太陽の光がさすことはない。白昼の風景すら、重い雲が垂れこめた空の下でどんよりと鈍色にくもっているか、もしくは雨にけむって蒼ざめているのである」

山田宏一著『山田宏一のフランス映画誌』(ワイズ出版)より

「メルヴィル的なるものは、夜に、夜の青に包まれて、官憲と無法者との間で、視線と身ぶり、言葉もなく示される裏切りと友情とを用いて、優しさを排除しない冷淡な豪奢、あるいは詩情を拒絶しない灰色の匿名性のなかで語られる」

拙訳『サムライ ― ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生』(晶文社)~フィリップ・ラブロ「あとがきにかえて」より

パリの夏は東京に比べるとずっと涼しい。その夜、メルヴィル本人は食事を終えてジェンネルに戻ってから、何か映画を見るか、また仕事にかかるかして、夜更けまで過ごすつもりだったろうことは想像にかたくない。

2010年6月 6日 (日)

山田宏一写真展「Nouvelle Vague(ヌーヴェル・ヴァーグ)」&最新刊『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』(ワイズ出版)

昨日の午後、神保町(住所は西神田)のギャラリーメスタージャへ出かけた。山田宏一氏の写真展「ヌーヴェル・ヴァーグ」を拝見するためだ。

初日の昨日は、15時から15時半まで、最新刊『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』(ワイズ出版)の出版記念サイン会も行われると、先月いただいたご案内に記されていた。

山田氏にいちばん最近お目にかかったのは、昨年11月、東京フィルメックスで「ジャン=ピエール・メルヴィル特集~コードネームはメルヴィル~」の2作品(『この手紙を読むときは』と『フェルショー家の長男』)を見た折。普段はごくたまに試写室で偶然お会いするくらいで、だいたいは書かれたものを読ませていただきつつ「遥拝」している。

せっかく写真展に伺うなら、ご本人がいらっしゃるときにと思っていたのだが、先週は週の半分以上が徹夜というありさま。這うようにして神保町へたどり着くと16時を回っていて、もうお開きかと思いきや、まだまだサインを求める人びとが……。

サイン会のあとで山田氏は、今回の写真展は「現像の力」によるものだと語っていたが、ネガが存在しないことには始まらない。チャーミングなアンナ・カリーナの微笑には、アンティミテ、いや、コンプリシテが見てとれる。1968518日、トリュフォーらシネマテーク擁護委員会が第21回カンヌ映画祭の中断を訴えている場面は、その場にいた人間だけがとらえられるドキュメントだ。映画の撮影現場でのショットには、その両方の意味がある。

★ギャラリーメスタージャ企画展 山田宏一写真展「Nouvelle Vague

 201065()626() 13:00-19:00 日曜休廊

http://www.gallerymestalla.co.jp/exhibisions/10/yamada/index.htm#press

最新刊『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』(ワイズ出版)に収められた原稿のうち、60年代ゴダールの長篇15本(『勝手にしやがれ』から『ウィークエンド』まで)と短篇数本については、書下ろしであるといい、このうち『アルファヴィル』と『ウィークエンド』についての一部が、本の「予告篇を兼ねて」、「速報シネマグランプリ」に特別寄稿のかたちで掲載されている。

★「速報 シネマグランプリ」 特別寄稿 山田宏一

「ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代」より 1 『アルファヴィル』

「ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代」より 2 『ウィークエンド』

60年代のパリで、しかも「カイエ・デュ・シネマ」同人として映画界を肌で感じ、記録した山田氏が紐解く、ゴダールの「おもしろい商業映画」を、この本であらためて反芻させていただこうと思う。当時のゴダール作品は、型破りでやはり魅力的なのだから。

2010年4月14日 (水)

ジャン=ピエール・メルヴィル作品の舞台 その17~『影の軍隊』④

un camp d’internement en zone libre, France

物語は19421020日から始まる(この日はメルヴィル監督25歳の誕生日でもある)。

ゲシュタポに逮捕された土木技師フィリップ・ジェルビエ(リノ・ヴァンチュラ)を乗せた護送車は、フランスの田園地帯を走っている。監視役のフランス人警官いわく、向かっている強制収容所は〈奇妙な戦争〉のときに建てられたもの。つまり、19399月、ドイツのポーランド侵攻により、フランスとイギリスはドイツに宣戦布告したが、19405月にドイツが動くまで、フランスとドイツの国境地帯は非戦闘状態が続いていた第2次大戦の最初期に、ドイツ軍捕虜を収容するために新築されたところというわけだ。

未使用だったその「フランス一よい収容所」には、ヨーロッパのさまざまな国籍のユダヤ人や、反ナチスのドイツ人、反ファシストのイタリア人、反フランコ派のスペイン人らが集められていた。収容所長はド・ゴール派の嫌疑がかかっているジェルビエには有力な後ろ盾がいるとみて、彼を「ドイツ士官用となる予定だった棟」に振り分ける。

ちなみに、この強制収容所でのシーンは、『サムライ ― ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生』(ルイ・ノゲイラ著)によれば、廃墟と化していた本物の収容所を部分的に復元して撮影したものだという。

la Ligne de démarcation, France

ある夜、ジェルビエは同房の共産党員の青年ルグランに脱走をもちかけられるが、計画を実行に移す直前、1台のシトロエン・トラクシオン・アヴァン(15CV-Six)が収容所に到着する。ソフト帽にコート姿のゲシュタポの男たちがジェルビエを迎えにやってきたのだ。車は「LIGNE DE DEMARCATION(境界線)」と書かれた看板が立つバリケード前で停まり、通行許可証の確認を受ける。バーが上げられて発進した車は、数メートルのノーマンズランドの先にあるドイツ軍占領地帯のゲートへと向かう。

19406月に独仏休戦協定が締結され、同年7月以来フランスは、東部(スイス国境)から中央部を経て南部(スペイン国境)へ抜ける一本の「境界線」によって2つに分断されていた。パリやボルドーを含む「線」の北側と西側はドイツ軍による占領地帯で、対独協力政権の本拠地ヴィシーのある南側は自由地帯だ。ジェルビエは自由地帯にある強制収容所から、パリのゲシュタポ司令部へと連行される。

当時、ヴィシー政府関係者でさえ通行許可証の入手はむずかしかったというが、多くの人々が自由地帯へ逃れようとし、レジスタンス活動家も決死の覚悟でこの境界線を越えた。クロード・シャブロル監督の「La ligne de démarcation(境界線)」(1966年)という日本未公開作品は、メルヴィルが敬愛していたレジスタンス活動家、レミ大佐の著書を映画化したものだ。

なお、194211月、連合国軍の北アフリカ上陸作戦に対する報復として、ドイツ軍は境界線を越えて自由地帯へ侵入し、イタリア軍も南部の占領地帯を西方へ拡大。フランス全土をドイツ軍とイタリア軍が占領したことにより、「境界線」は19433月に廃止された。

(次回へつづく)

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